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出自に関しては、論文で河内説を主張して、常陸、豊前説を切り捨てました。

豊前説に関しては、日本書紀、景行天皇記に直入中臣神と言う記述があり、
豊後風土記に豊前仲津郡中臣村(和名抄では中臣郷)とあり、
現在でも中冨と言う姓があることを書きました。

これらのことからわかることは、豊前に中臣部があったという事。
それが畿内の中臣氏と、どういう関係にあるかがわかりません。
それと、もう一つ、それが何時の事なのか?
3,4世紀までさかのぼれるのか、7,8世紀なのか?
これらのことから、畿内の中臣氏との関係が立証できず切り捨てましたが、時間がゆるせば、
もっと、調べる必要があります。

中臣氏は佐賀から近畿、そして鹿島へやってきたという説もあります。

その中臣氏は神八井耳命の系譜と言われています。

多氏がまず佐賀から大和の多神社へ、その多神社が常陸の大生神社となり、大生神社が鹿島神宮の本宮であり、そこから春日へということで、佐賀→大和→常陸→大和となるわけです。

これは鹿島神宮禰宜東氏「家譜」に書かれています。

大生神社の文献にも「大生大明神」は「春日大明神」であると書かれています。

久安五年(1149)に大和国司に提出した「多神神宮注進状」には
「旧名春日宮、今云多神社」とあります。

これらのことは、事実であるかどうかの確認ができず論文では取り上げられませんでした。

まだまだわからないことだらけです。
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