「茅淳と三輪」
茅淳と三輪と言うのが今回のアカダマ会のテーマでした。
最初このテーマを聞いた時、「茅淳」って何ですか?と思わず聞いてしまいましたが、たいていの人にも耳慣れない言葉だと思います。
「茅淳」は大坂南部の泉北丘陵一帯の地域を指すとのことです。
言葉としては茅淳の海と言う方が、まだ耳にすることがあるかと思います。
講師を務めていただいている松田氏にとっては、恩師の森浩一先生から与えられた大切なテーマであり、ひと際思い入れの強いテーマと言うことでした。
結論から言えば、この「茅淳」の地に本拠をおいた渡来系氏族であるミワ氏がヤマトに入り三輪山の山麓に移り住み。やがては、三輪山を祀る神祇の氏族としての三輪氏になったということです。
私にとってはすべてが初めて聞く話であり、毎回松田氏の歴史に対する深い造詣と研究心にただただ圧倒される思いです。
【先代旧事本紀】( せんだいくじほんぎ)という書物があります。
神代から推古天皇までを記載した歴史書で、9~10世紀初めの間に成立し、全10巻。
『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』などをつづり合わせて作られた歴史書。略して《旧事本紀》《旧事紀》とも言われます。
信憑性については疑わしい点もありますが、巻五の《天孫本紀》は尾張氏,物部氏の古来の伝承,巻十の《国造(こくぞう)本紀》も古い資料によっていると考えられ歴史書として価値は高いものがあり、しばしば論文などでも参考資料として引用されます。
私も参考文献として取り上げられるのは目にしますが、実際に通読したことはありません。
この中の「地神本紀」にオオアナムチの神が天羽車に乗り、茅淳縣に住む活玉依姫を娶る話があります。
その活依姫の元に密かに通ってくる男を不審に思った親が糸をその男の衣に結びつけ、その糸をたどって行くと茅淳山から吉野山に入り.三諸山に入り、糸がミワ残されていたことからその男が三輪の大神であり、その山を三輪山と呼ぶという地名伝説が載せられています。
良く似た話は日本書紀の崇神紀にあり、有名な箸墓古墳の話へ、そこからオオタタネコへと続きますが、このことは、また後で繋がりますが、ここでは、まず茅淳が登場し、三輪へと繋がることが指摘されます。
こういった伝承に対する考古学的な検証が、今回のアカダマ会での話です。
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