「日吉館は日本の伝統の美術・芸術・学問を眼のあたりに見ることの出来る、日本で一番誇りのある古都、奈良の中に静かに在る建物です。
ですから、ここは普通の旅館ではありません。奈良を愛する学徒が学び憩う場所です。
随分昔から日吉館を訪れ語り集まった人々は、学者であり、作家であり、詩人であり、研究家であり、若々しい学生であり、奈良を好きな働く人々であったのです。
昔の人々は、隣の部屋に心の合った友達を見つけて、奈良の古美術について語り合い、それから人生や世界の動きについて語り合い、最後に再び”奈良はいいなあ、大事にしたいものだ”と言い合いました。
日吉館は、そういう友達との出会いを創ってくれる場所でもあるのです。
ですから、もうおわかりでしょう。日吉館では、ふるさとの母の家へ帰って来た時のように、過ごせばよいのではないでしょうか。
第一に、お酒を飲んでわいわいさわぐところではありません。
お若い人々へは、九時~十時過ぎまで帰って来ないことのないようにお願いします。お母さんが心配するように日吉館は心配しますから。お風呂へ入る時は順番に上手に入りましょう。
お風呂のお湯をひどく汚すことは、あとで待っている友達を悲しませます。
たくさんの人が泊まるのですから、履物は自分で出し入れしましょう。
お布団も、小ざっぱりたたんでおけば、朝の支度もしやすくなりましょう。
日吉館での娯楽は、静かに楽しめる碁、将棋にとどめましょう。明日は、もっと私たちの心を楽しませてくれる、素晴らしい美術・建造物・自然が待っているのですから。
日吉館にはサービスする女中さんは居ません。わざとおいていないのです。
お茶がほしい時は、気楽にお台所の所まで来てお頼み下さい。すぐお湯を沸かして美味しいお茶を届けてくれます。また玄関先で、静かに飲むのもよろしいものです。すぐ友達が出来ます。
こういう建物が、もし奈良に無くなってしまったら、古美術を愛する人々は、高いお金をとられて、やたらピカピカする、どこかへ泊まらなければなりません。
日吉館があるために、貧しくとも学問・芸術の研究のために滞在できた昔の学徒たちの思いを、はじめて日吉館を訪れた方々へ、お願いせずにはいられないのです。日吉館がいつまでも、このままの姿で、静かに在
るように、若人の勉強する場所でありますように、と。どうぞ、その歴史を受けついで、奈良の日吉館に憩
う学徒の誇りをお持ちください。」 日吉館を愛する者一同
私は1962年に第一文学部美術専修に入学すると、奈良美術を生涯の研究テーマと決め、奈良行きをはじめた。それは新幹線の登場前のことで、関西線経由湊町行きの夜行列車「大和号」に乗車し、翌朝奈良に到着。駅で洗面して登大路の日吉館まで直行した。 文学部の美術研究室で、奈良には美術・建築を研究する学者や、画家・小説家の芸術家たちが古くから泊ってきた日吉館という旅館があって、會津八一先生も大 正時代から常宿とし、先生が揮毫した看板もあるという話をたびたび耳にした。どうやら日吉館は奈良を愛し、奈良の風光や美術、文学にあこがれた人たちの常 宿らしい。 |
玄関のガラス戸を開けて、「ただ今」と声をかけると、小母さんが「お帰りなさい」と迎えてくれる。これが日吉館伝統の客と女主人の最初のセレモニーであっ た。女主人の田村キヨノさんを泊まり客が親愛を込めて「小母さん」「小母ちゃん」と呼んだ。一日中斑鳩や飛鳥を歩き回り、夕方日吉館へ戻ると七厘の炭火で 食べるスキヤキが待っていて、見ず知らずの人と一つの鍋を囲む。夕食が終わっても寝る部屋が決まらない。はじめての人と相部屋になったが、奈良の好きな人 ばかりですぐに打ち解けた。
文学部美術史コースの奈良実習旅行は80年前に會津先生がはじめられ、私が教師になったころもまだ日吉館に泊っていた。1997年の秋に奥島孝康総長から小母さんに感謝状が贈られたが、小母さんはもういない。日吉館の建物も取り壊された。諸行無常である
早稲田大学文学学術院教授 大橋 一章
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