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言わば押し付けられた井上皇后、光仁天皇はよっぽど嫌いだったのかもしれません。

でも、子供はできてるのですが・・・

さて、光仁天皇即位の年、右大臣吉備真備は辞職を願い出ます。

はなはだ疲れたということです。

そして翌年、左大臣藤原永手が亡くなります。

称徳天皇から、光仁天皇への言わば引継ぎに功のあった、大臣が2人とも朝廷からいなくなったのです。

そしてその翌年宝亀3年(772)待っていたように、井上皇后を巫蠱の罪により皇后を廃します。

およそ、この巫蠱の罪ははなはだ真偽も怪しくしかも何年も前の話という。

しかも自首してきた裳咋足嶋はむしろ官位を従七位から従五位下にあげられています。

格段の出世と言っていいでしょう。要するによく誣告したと褒められたわけです。

そして5月には他戸親王の皇太子を廃します。その上で先日平成天皇の1300年祭の、お言葉に出てきた高野新笠の子供、山部親王を皇太子とします。

それだけでは、不安だったのでしょうか、光仁天皇の姉難波内親王が没したことも、罪状にあげ2人は殺します。

もちろん、殺したなどとは書いていませんが、幽閉した2人が「並び卒しぬ』と言う記述です

宝亀6年4月27日、母子が同時に死んだということです。いかにも不自然で自殺かあるいは暗殺と考えるのが妥当です。

こうして、吉備真備が苦心して守ろうとした聖武天皇、持統天皇の血筋はここに完全に抹消されます。

私の奈良時代の記述はこれで終わりです。

理由は次回。

 

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