続日本紀に
葛城寺の前なるや。豊浦寺の西なるや。 おしとど、おしとど。
桜井に白壁しずくや。 好き壁しずくや。おしとど、おしとど。
然して国ぞ昌揺るや。吾家らぞ昌ゆるや。おしとど、おしとど。
白壁しずくは白壁王が沈み、世に隠れている、その「好き壁」が現れたら国も我が家も栄えるのに。
ということで、即位前記にも、「井は内親王の名であり、白壁は天皇の諱である。この歌は光仁天皇が皇位につく徴であった』と書かれている。
実際、多くの諸王が称徳天皇の後継を争う中で消えて行ったわけですから、その通りなのですが、続日本紀はもともと桓武天皇に捧げられた歴史書ですから、父たる光仁天皇の悪いところは書くはずがありません。
だから、白壁王が有能でありながら、身を隠し続けたのか、誰からも担がれなかっただけなのかは、微妙です。
でも、結果天皇の座を得たのですが、前にも書いたように、称徳天皇の意をなるべく取り入れようと、苦心した吉備真備のおかげです。
称徳天皇は自分で天智天皇からの血筋が消えてしまうことはわかっていました。
だから、いっそ道鏡にもと考えたのですが、吉備真備が説得して白壁王を推薦したと考えます。
最初、天武天皇の第4皇子長親王の子である、文屋淨三(臣籍に降下していた智努王)あるいはその弟太市(大市王)を考えていたのですが、
天武の血は流れていても、脈々と受け継がれた、持統の血は消えてしまいます。
そこで、今までライバルとして言わば敵視していた、県犬養広刀自の娘であはるが、いまや唯一聖武天皇の血即ち、持統天皇の血を伝える井上内親王を妃としている白壁王に白羽の矢を立てたのです。
その子、他戸親王を皇太子とし、後継者とすれば持統天皇の血は受け継がれるからです。
しかしこうして即位した白壁王は、吉備真備の真意など、まったく理解していません。
そして妃である井上内親王は、長年酒ばかり飲んで何の働きも無い白壁王を言わば馬鹿にしていました。
そもそもこの結婚は,聖武天皇が蔡王を長年務、婚期をのがした井上親王を哀れんで、白壁王に言わば押し付けたものです。
白壁王にすれば、既に妻子もあるところに上から押し付けられた嫁であるし、井上内親王にすれば文字通り降嫁してきた、格下の婿であったわけです。
ここから悲劇は始まります。
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