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それでは結局、中臣氏の出自は、どこかという話ですが、出自と言う時点を何処にするかも問題です。

私の姓の出自は京都府の綾部市です。そこには同姓が今もたくさんいます。

ですから、出自は綾部でいいかと言うと綾部にいるのは、祖先が戦国時代の少し前からそこに居を構え本拠とし、大阪の夏冬の陣で豊臣方につき、負けた結果武士を捨て土着した結果です。

それ以前は菅原姓で、朝廷につかえていましたから京にいました。

その菅原は、今も奈良に地名がある菅原村が出自のようです。そのまた以前はと言えば土師氏から別れています。

土師氏と言えば野見宿禰を祖とします。その宿禰は出雲出身と言われています。

このように、私の家一つをとってもその出自を何処というのは、何を基準とするかで変わります。

中臣氏の場合も同じで、豊国にもそのルーツらしきものがあり、河内にもあり、常陸にもあります。

ただ藤原氏で言えば、ルーツは飛鳥、大原と言えます。

そもそも藤原と言う姓は、飛鳥・大原の地が藤井ヶ原と呼ばれていたことに由来します。

『大和志』高市郡の項に 「大原 大原村一名藤原。又名藤井原」とあります。

橘 守部の『万葉集檜嬬手』に

 「往古藤井と云う名水あり。清水の上に松栢掩ひたるに、大なる藤はひかかりて日の影を見ざりければ、水無月の望にも歯にしむばかりなりき。其の藤の古株、鷺栖ノ杜の傍に近来までも遺りてありと云々」

ここに書かれた「鷺栖ノ杜」は、「飛鳥座神社」のある鳥形山の東隣にあった

鷺栖神社で、現在は茶畑と稲田になっているが、かっては飛鳥座神社の社地とほぼ同じくらいであったといいます。

そしてその鷺栖神社の社地の東端に鎌足誕生堂(大原神社)に接して藤の木があって、その側に「藤井」と称せられる名水があったところから、この地を「藤井ヶ原」略して「藤原」と呼んだということです。現在も野井戸があるとのことです。

中臣鎌足はその地で産まれ、天智天皇に死の直前、天智8年(669)10月、「大職冠」と「大臣」の称号とともに、地名に基づき藤原と言う姓を与えられます。

ただ木の又から出てきたわけではないですから、その親はと言えば、おそらく河内出身で、中臣氏系図にある、最初の中臣黒田は河内から身をおこしたのでしょう。

但し、「おそらく常陸から河内にでてきたのであろう。」と言うのが、私が導き出した結論です。

それ以前の中臣氏が何処から来たのかは、現時点では不明です。そして何より、中臣氏と言う氏族がどれぐらい遡れるかも確定できません。

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