2 春日社の創建
(神護景雲二年説について)
春日社は社伝によれば、奈良時代、称徳天皇の神護景雲二年(七六八)十一月九日に創建されたとある。
例えば『春日社御本地幷御託宣記』(春日大社蔵・平安後期成立・執行正預兼若宮神主中臣連大東延遠記)には
「或る皇代記裏書きに云ふ、神護景雲二年十一月九日戊申、左大臣藤原永手、春日大明神を三笠山に移し奉る云々」
としるされ、『大鏡裏書』にも神護景雲二年十一月の記載がある。
その創設に関する一番の根拠は「宝亀十一年(七八〇)八月三日、中臣殖栗連時風記レ之」とある記文から発している。
この出典は春日社社家大東家に伝来した文暦元年(一二三四)の具注暦紙背に書かれた『古社記』によるもので、天慶三年(九四〇)に正預従四位下大東信清の端裏書したものを大東延慶が自筆し、明治二十四年(一八九一)八月に寄進したものである。
この信清は、永承七年(一〇五二)に亡くなっており、天慶三年とは年は隔たっている。またその内容、著作年代及び著者ともども正確性、信憑性にかける。
その創立の日についても、
「以終、神護景雲二年戊申十一月九日戊申 寅時、宮柱立、御殿造了」
とあるが、十一月九日は『続日本紀』によっても「己卯」であり、この年の十一月には「戊申」は存在しない。
また同じ『古社記』の文中に於いても、春日明神が安部山を経て、春日山に遷座された年月日が違う。
この『古社記』は、春日社に日神信仰や神鹿思想が発生する十一,二世紀の頃、その最も重要な要旨である鹿嶋より遷祀なったとする古伝を中軸とし、社家によって追加、編纂、記録され
「右為後代一記置之状如件」
とあるように、家伝を一子相伝する上で必要な備忘のための記録であり、この文献資料を以って、ただちに春日社創設の日を神護景雲二年とするには、いささか問題があり、もう少し検討の必要がある。
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