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アカダマブログ
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前に自分史なんて書いてもあんまり意味がない。
なんて書きましたが、奈良大学の方から、話があって、
社会学部のゼミでアカダマの話をしてほしいと依頼がありました。
今までなら躊躇するところが、やはり年のせい、こんな機会はもう死ぬまでめったにないという気持ちが働き、二つ返事で引き受けてしまいました。

ともかくレジメでもとりあえず作ろうとしてみたら、これが結局自分史。
なんのことはない、悪口が自分に降りかかると言う感じです。

威店を辞めて2年、もうアカダマなんて過去のものと思っていたのが、思いもかけず再び脚光を浴びると言うか、知ってもらう機会が与えらるなんて有り難い話です。
とりあえず、年表を作って、その時代を取り巻く世相をいろいろ書き出してみました。
祖父が始めた時には奈良で2軒しか薬局がなかったとのことで、その一つで働いていた祖父が独立して店を作った
アカダマ薬局で創業が昭和4年。
その片隅に「コーヒーの店アカダマ」を父が開いたのが昭和32年。
そんなに古くはない感じですが、戦前はともかく戦中、戦後しばらく、コーヒーの輸入はストップしていて、再開が昭和25年、自由化は昭和35年と言う時代で、コーヒーの店としてはやはり奈良では草分けと言えるようです。

今でこそ、各家庭でというか、皆がコーヒーを飲むのが日常ですが、インスタントコーヒーの輸入自由化が昭和36年で皆がコーヒーを口にし出したのはそれ以降でした。

だから、奈良でコーヒーやをやっても、それを飲む客は限られていたというわけです。

そんな時代に何故父が店を開いたのかというのは、その当時アカダマ薬局は父の知り合いが常に店に立ち寄り、父と話をしに来ていたという背景があります。

父は神戸の裕福な家庭に生まれ、青少年期を神戸で育ちました。
ですから、その時代にしては随分とハイカラな人間であり、また明治の人間では珍しい学歴もありました。

だからこそ、多くの人が父の話を聞きに集まり、またいわゆる文化人が常に店にたむろしていたわけです。

ですから、初期のアカダマの客のほとんどは父と話をしに来る奈良の文化人と言う顔ぶれで、それが、逆に店の雰囲気ともなっていきました。

ですから私が店を引き継いだ時には、すでにアカダマはそういう人の醸し出す雰囲気がすでに在り、客層も既に固まっていたわけです。

ですが、わしが店を引き継いだ時は若干28歳、まだまだ青二才です。

客は年配の人が多く、また其れなりの地位と教養のある人ばかりと言う状態でした。
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奈良市にあった喫茶店『可否茶座 アカダマ』の元マスター.
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