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春日大社では第60次の式年造替がいよいよ最後の段階に入っています。
 春日大社は社伝によれば,神護景雲2年(768)に創設されたと言われています。

社伝によればと、わざわざ断るのは、東大寺の造営は正史である『続日本これらは紀』に記載があり、
その他にも、それを補強する資料が存在するのに対して、
春日大社造営に関しては、正史には記載がありません。
式年造替で社殿が度々作り替えらるれていることによって、考古学的な物資料、
年輪測定法といった科学的な推定もできず、棟木に創建年代が書かれているといった
補強資料もありません。
 
  創建年代を示すの文献資料は。鎌倉時代に書かれたものがほとんどです。
ただ平安時代にはすでに神護景雲2年の創設説は広く世間に知られていた証左もあり、
それを覆すべき資料もないことから、今では春日大社の設立は768年としてほぼ公認されています。
 
 
  それでは今も行われる造替がいつから始まったのか調べてみたのですが、
残念ながら手元の資料には全く見当たりません。

  そこで春日大社の発行する資料で見ると、第1回の造替は神護景雲4年(770)とあり、
創立のわずか2年後とあります。
続いて第2回が宝亀年中で、775年、第3回で延暦年中で794年とあります。
これらは言わば伝承であり史実としては、疑わしい面もありますが、
これらの造替のありようから、10世紀から11世紀にかけての頃の朝議の故実を記した
故実書『西宮記』にあるように、破損の都度修理を行った不定期造替出会った様子が伺えます。

『延喜式』には我が国の古い名大社、伊勢神宮をはじめ、住吉、香取、鹿島では20年に一度
本殿を建て替える規定示されています。

それでは春日大社が実際に20年に一度造替を行うようになった時期を春日大社の資料で見るとだいたい鎌倉以降13世紀からであることがわかります。
春日大社の造替の式年性は、いつからと特定はできませんが、およそ平安から鎌倉に入る
12世紀後半と考えて間違いはなさそうです。
この時期は藤原一門の全盛期ともいえ、その富を源泉に造替制が定着したようです。
前置きが長くなりましたが、いずれにしろ、今回の造替が60回目、
20年ごとでちょうど1200年。現在に至るまで営々と続いてきたことはすごいことです。



 
今奈良や京都の社寺で、液体をかけられる被害が続いていますが、いかなる信仰であろうと
1000年を超す期間、数百万あるいは数千万いや、数億人の人々の礼拝の対象となり、
その維持管理のために多くの人々が長年努力してきたという事実はとても重いものです。

 その先人の血のにじむような努力の結晶である現在の社寺に、あのような行為をすることが
どれだけ多くの人々の心を傷つけることになるのかを全く理解していない、
実に愚かな行為であり激しい怒りを感じます。
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