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『日本書紀』で、御食子は舒明即位前期に弥気としてみえ、

兄弟の国子は推古紀三十一年条に見え、

征新羅の大将軍に任じら、実在は確実な人物である。


孝徳朝以降に鹿島の中臣氏に関する記述が増加するのも、

代替わりした中臣氏と鹿島のその後の密接な関係を

裏付けている証左となる。


鎌足が鹿嶋の生まれであるとする大鏡・

談山神社縁起の記述も、鎌足の父祖の地が鹿嶋であることを、

数百年の年月を経て、あたかも鎌足が鹿嶋出身

であるかのごとく取り違えたと見るのが自然な解釈である。


また、大化改新に抜群の功績のあった鎌足が、

要職に就くこともなく、内臣という地位に留まり、

大織冠の冠位も藤原という姓も、

死の直前に与えられた、いわば死後贈位であるのも、

この常陸出身という出自の故であったと考えられる。


中臣氏はそれぞれ支配するところの神を氏神としている。

中臣伊香連は近江国伊香郡伊香郷にあたる地域の

伊香具神社を氏神とし、

中臣藍連は摂津国島下郡安威郷にあたる地域の

阿威神社を氏神とし、

その出自地と思われる河内では、枚岡社を氏神としており、

中臣鹿島連は鹿嶋神宮を氏神としている。


以上の事から、春日社に武甕槌神(常陸国・鹿島の神)

・経津主神(下総国、香取の神)が迎えられた理由は、

鎌足・不比等に連なる藤原氏(中臣氏)は、

仏教導入を巡る争いで亡びた中臣本宗家に代わり、

鹿嶋出身の黒田に連なる中臣氏が宗業を継ぎ、

鹿嶋における氏神である鹿嶋・香取の神を奉祭したが故であり、

田村
()
氏の言葉を借りれば

「氏神だけはあざむくことはできない」ということである。


こうして、中臣氏の祖神である枚岡に座す天児屋根命・比売神、

藤原氏の氏神である鹿嶋・香取の四柱の神を迎え

四神一体の春日社が構築されたと考えるものである。

なお香取の神については、『続日本後紀』承和三年五月条に、

「下総国香取郡従三位伊波比主命」とあり、

『延喜式』
(巻八・祝詞)に「香取に坐す伊波比主命」。

『日本書紀』
(神代下・天孫降臨)の引く一書には、

「経津主神と武甕槌神が葦原中国の平定の前に

高天原の悪神の天津甕星を討った」

「このとき斎主の神は、『斎の大人』と号した。

この神は今は東国の楫取(香取)の地に存在する」と記されている。

イハイヌシは、記紀神話ではこの箇所しか登場せず、

特定の神ではなく「神事を行なう神」という意味の

一般名詞と見ることができる。

この説に従えば、香取の神の性格は鹿嶋神を奉斎する

在地性の強い神ということになる。



このような関係は、伊勢の在地の神であった豊受神(外宮の祭神)が

天照大神(内宮の祭神)を祀る伊勢神宮でも見ることができる。

とすれば香取の神は、もともと下海上国造が奉祭していた

在地の神であり、のちに天神であった鹿嶋神を祀るようになったため

「斎の大人」と呼ばれていたとも考えられる。

いずれにしろ、タケミカズチやフツヌシは国土の平定に活躍した軍神である。

タケミカズチの意味は、「タケ」は武、

「ミカ」はミイカ(御厳・雷)のことで、

「ズ}は助詞、「チ」は権威あるものであり、

武々しい雷のような権威のある神と理解されており、戦闘を象徴している。

それに対してフツヌシは、魂を振り動かす行事に使う用具の

「フツノミタマ」と関係があるといわれる。

記紀では、タケミカヅチの分身の剣を

布都御魂(フツノミタマ)と記しており、

フツヌシは刀・剣のタマ(魂)にかかわる神である。

したがって、両者が一体となってはじめて、軍神としての威力を発揮する。

春日社においても一対として藤原氏の氏神をなすものである。


  千葉県『千葉県の歴史』通史編古代2 千葉県 
                             平成十三年 

  上山春平 『埋もれた巨像』  
               (株)岩波書店 一九七七年

  永島福太郎『神道大系』神社編 春日 
                神道大系編纂会 昭和六〇年

  西田長男 『神道考古学講座』第六巻 
  関係特論「文献資料」 
雄山閣出版() 昭和四十八年

  『神祇官勘文』は正式には
『神祇官勘申諸神立社幷祭祀之始及祈年祭等祭始又
                忌火膳御賄等始事』
といい、加茂・石清水・松尾・稲荷・河合・木嶋
・大倭・気比・気多等の諸名社の「立社幷祭祀之始」
すなわちその創立などについて勘申したものである。
したがってその中にある春日大社の「祭文」も
その創立の日に奏上された祝詞であると考えられる。

  義江明子 『日本古代の氏の構造』 
             吉川弘文館 昭和六十一年

  中村春壽『春日大社奈良朝築地遺構発掘調査報告書』
              春日顕彰会
 昭和五二年

  直木孝次郎 『日本古代の氏族と天皇』 
              塙書房 一九七七年

  太田 亮 『姓氏家系大辞典』第三巻 
              角川書店 昭和五一年 

  志田諄一 『古代氏族の性格と伝承』 
                  雄山閣 平成二年

  塙保己一『群書類従』系譜部 巻第六二 中臣氏系図

            第三巻 名著普及会 昭和五二年

田村圓澄『藤原鎌足』 塙書房一九六六年

中村英重 『日本古代中世史論考』
         「中臣氏の出自と形成」
吉川弘文館 一九八七年

早川万年 『古代東国と常陸国風土記』

     「神郡・神郡司に関する基礎的考察」雄山閣一九九九年

  横田健一『日本書紀研究』第五冊 
            「中臣氏と卜部」塙書房 昭和五十一年


参考文献

青木和夫『日本古代の政治と人物』「藤原鎌足」 
                   吉川弘文館 一九七七年

青木和夫『藤原鎌足とその時代』  吉川弘文館 一九九七年

井上光貞他『日本書紀』上・下 岩波書店 昭和五一年

池田源太他『新しい大和の歴史』大和タイムス社 一九七三年

上田正昭『日本古代国家論究』「祭官の成立」
                   塙書房一九六八年

上田正昭『春日明神』 筑摩書房 一九八七年

宇治谷 孟『続日本紀』上・中・下 
                講談社 二〇一〇年

花山院親忠他『春日大社』 大阪書籍 昭和五十九年

花山院親忠『春日の神は鹿にのって』清水弘文堂 一九八七年

春日大社『春日大社のご由緒』 春日大社 平成七年

加藤謙吉『大和政権と古代氏族 吉川弘文館 一九九一年

木本好信『続日本紀研究』320号掲載
             「石上国盛と石上国守」一九九九年

笹山晴生 『奈良の都』吉川弘文館 平成四年

高木市之助他『万葉集』  岩波書店 一九七九年

谷川彰英 『奈良地名の由来を歩く』
            
KKベストセラーズ 二〇一〇年

東 実 『鹿嶋神宮』  学生社 二〇〇一年     

直木孝次郎『日本書紀研究』
             「物部連に関する二,三の考察」

中野和正 『春日』第八七号「春日の神話」
               春日大社 平成二十四年

永島福太郎『奈良 春日野』 淡交社 昭和四十三年

奈良公園史編集委員会『奈良公園史』奈良県 
      第一法規出版 一九八二年 
塙書房一九六六年

平林章仁 『七世紀の古代史 王宮・クラ・寺院』 
                 白水社 二〇〇二年

松田度 『橋本歴史研究会報』第二六五号
             ―鹽屋連鯯のことー二〇一二年


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