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国文学特殊講義という講座を奈良大学で聴講生として半年間受講しました。

この授業の中身は『菅家文草』『菅家後集』を通して菅原道真について学ぶ事で、

担当教授は菅原道真の詩文研究の第一人者である滝川幸司先生。

私がこの授業を選択した理由は、我家に残る「元和元年乙卯年討死定故書置者也」

という所謂大坂夏の陣に際し先祖が書き残した家系図にあります。

当初三巻あったようですが、今は二巻しか手元にありません。

非常に長い巻物で、全文漢文ですので、私自身まだ最後まで読み通していませんが、

そこには我が家が菅原道真の三男の末裔であると書かれています。



ご存じのように道真は昌泰の変と呼ばれる出来事により、右大臣の位を追われ、

太宰府の権師に左遷され、その子供も、皆引分国々被流ということになり、

我が家の祖先たる三男は備後国恵蘇群に配所となりましたが、
朱雀天皇の時に参内して
備後一国令地地頭。
以後戦国の戦乱時には丹波国高津城にあり、最後関ヶ原で敗れたのち
大坂夏の陣にて討ち死と言ったことが累々と書かれています。

今の我が身と引き比べ、あまりにも偉大な祖先過ぎ、我が身には

何のかかわりもないことと、今まで敬遠して無関心を通していましたが、

この年になってようやく、少しは先祖のことも学ぼうと殊勝な気を起したわけです。

この授業で初めて道真の『菅家文草』に接して、まず漢詩がここまで率直に

心情や日々の出来事を表現できるのかと、漢詩に対するイメージが一変たこと。

道真に関して知らない事が多いこともまた、思い知らされました。

道真については、どうしても死後の怨霊となった話が中心となり、宇多天皇に
つかえた官僚としても姿はほとんど知られていません。

宇多天皇の「寛平御遺誡」に、
『菅原朝臣は朕が忠臣のみに非ず功臣なり」とあり、

宇多天皇の治世下多くの嫉妬・抽象・讒言に耐え、
忠実に、政務に奮闘精励し、知を竭し、忠を尽くし

清廉無比に祖父清公・是善・道真の三代に亘る儒門の領袖

「文章は暗に家風に誘われ 吏部は偸かに祖業の存するに因る」

として学識を持って政務に尽くしながらその純粋さ故に世俗の

権力争いの渦中に巻き込まれた無念の生涯を、今少し掘り下げて
勉強する必要を感じました。



道真の参考文献を挙げておきます。

道真の概略を知るには、吉川弘文館『菅原道真』坂本太郎

道真の歴史研究には、吉川弘文館『摂関政治と菅原道真』今 正秀

道真の詩については 笠間書院 『菅原道真』 波戸岡 旭

          塙書房  『菅原道真論』滝川幸司

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