category:From マスター
道真がこよなく梅花を愛したことはよく知られています。
このことは『拾遺集』に記載の太宰府に左遷される折に自邸の梅の木に歌いかけたとい う
この歌で特に世間に知られています。
「こち吹かば においおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわするな」
しかし道真の生きた時代は、詩と言えば漢詩であり、道真自身も自らを詩臣と称し
漢詩を読むことによって宮中に仕えていると語っています。
その道真の詩は、自ら編集した『菅家文草』 『菅家後集』に千年を経た今でも
ほぼ完全に残されています。
そしてその巻頭を飾る詩は、道真11歳の時の作「月夜に梅花をみる」であり、
その掉尾を飾るのが、道真の死の一月前に詠まれた、
「城に盈ち郭に溢れて幾ばくの梅花ぞ」と春雪を梅花に見立てた「謫居春雪」
という詩であるのも決して偶然ではありません。
このように道真が梅花を愛したのは梅花が春を寿ぎ、その色香が美しいからと言うだけでなく、
道真にとって、梅はまた、宮廷内宴の象徴であるということが重要な意味を持っていました。
内宴と言うのは、嵯峨天皇・淳和天皇以降村上天皇のころまで続いた宮廷の年中行事であり、
天皇が少数の文士を呼び歌舞を奏で、詩酒に興じる宴でした。
その様子を道真は
臣聞く、春は1年の驚策にして 、四時の光彩なり
時は是れ鶯花、君子遊予す。其れ喜ばしからずや。
数輩の詩臣も詔旨に非ざれば其の志を言うことをえず。之を内宴と言う。
伏して一人の喜び有ることを叙べ、兼ねて万物の春に逢ふことを賦す。
この内宴において詠ぜられる花が宮中の仁寿殿の西側の庭先に咲く紅梅でした。
このように、道真にとっては梅花は花を通して宮中にあって詩を詠む詩臣である
道真の誇りであり、道真自身のの象徴でもありましたからこそ、
今なお天神の神紋は梅鉢なのでしょう。
このことは『拾遺集』に記載の太宰府に左遷される折に自邸の梅の木に歌いかけたとい う
この歌で特に世間に知られています。
「こち吹かば においおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわするな」
しかし道真の生きた時代は、詩と言えば漢詩であり、道真自身も自らを詩臣と称し
漢詩を読むことによって宮中に仕えていると語っています。
その道真の詩は、自ら編集した『菅家文草』 『菅家後集』に千年を経た今でも
ほぼ完全に残されています。
そしてその巻頭を飾る詩は、道真11歳の時の作「月夜に梅花をみる」であり、
その掉尾を飾るのが、道真の死の一月前に詠まれた、
「城に盈ち郭に溢れて幾ばくの梅花ぞ」と春雪を梅花に見立てた「謫居春雪」
という詩であるのも決して偶然ではありません。
このように道真が梅花を愛したのは梅花が春を寿ぎ、その色香が美しいからと言うだけでなく、
道真にとって、梅はまた、宮廷内宴の象徴であるということが重要な意味を持っていました。
内宴と言うのは、嵯峨天皇・淳和天皇以降村上天皇のころまで続いた宮廷の年中行事であり、
天皇が少数の文士を呼び歌舞を奏で、詩酒に興じる宴でした。
その様子を道真は
臣聞く、春は1年の驚策にして 、四時の光彩なり
時は是れ鶯花、君子遊予す。其れ喜ばしからずや。
数輩の詩臣も詔旨に非ざれば其の志を言うことをえず。之を内宴と言う。
伏して一人の喜び有ることを叙べ、兼ねて万物の春に逢ふことを賦す。
この内宴において詠ぜられる花が宮中の仁寿殿の西側の庭先に咲く紅梅でした。
このように、道真にとっては梅花は花を通して宮中にあって詩を詠む詩臣である
道真の誇りであり、道真自身のの象徴でもありましたからこそ、
今なお天神の神紋は梅鉢なのでしょう。
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