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新年あけましておめでとうございます。
今年は3が日とも本当に暖かく、天候にも恵まれ良い正月でした。
我が家では大分汚れが目立ってきたので、今年は新しく日の丸を購入し、
さっそく正月には新しい日の丸を掲げました。
かっては、唱歌にも歌われたように、正月には家の門ごとに掲げられた日の丸も
近所では1割程度。
ドイツでは平日でも多くの家に国旗が掲げられていたのとは随分と違います。
個人的には、大みそかまで喧騒に包まれていた町が、元日にはひっそりと静まりかえり、
家々に日の丸が掲げられている風景が大好きですので少し寂しく感じました。
さて、藤原京から平城京への遷都の話しです。

平城遷都の詔の原文を以下に載せました。

《和銅元年(七〇八)二月戊寅(十五)》○戊寅。詔曰。

朕祗奉上玄。君臨宇内。以菲薄之徳。処紫宮之尊。常以為。作之者労。居之者逸。

遷都之事。必未遑也。而王公大臣咸言。往古已降。至于近代。揆日瞻星。起宮室之基。

遷都のことは必ずしも急がなくてよい。ところが王公大臣は皆いう。

卜世相土。建帝皇之邑。定鼎之基永固。無窮之業斯在。衆議難忍。詞情深切。然則京師者。

多くの臣下が議することは抑えることが困難で、その詞も情も深く切実である。

百官之府。四海所帰。唯朕一人。豈独逸予。苟利於物。其可遠乎。昔殷王五遷。受中興之号。周后三定。致太平之称。

京師というものは、百官の府であり、四海の民が集まるところである。

ただ自分一人がどうして独り安楽であって好かろうか。

いやしくも利点があるなら従うべきではあるまいか

安以遷其久安宅。方今,平城之地。四禽叶図。三山作鎮。亀筮並従。宜建都邑。宜其営構資,須随事条奏。亦待秋収後。令造路橋。子来之義,勿致労擾。制度之宜。令後不加。

 
緑で表示した四禽叶図以下の文章は有名ですのでご存知の方も多いと思います。
問題は、赤で訳をしてある部分です。
要するに、元明天皇本人はあまり気が進まないが、皆が強く勧めるので、しぶしぶと言う感じで遷都をしたと読み取れます。
わずか16年ほどで,何故さほど意に沿わない遷都が行われたのか?
このことについて多くの議論があることは前回書きました。

 

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