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実は出雲の国譲りは、裏返しで、出雲がヤマトに国譲りを迫った。

古事記はその間の事情を記した出雲側の言い伝えを、ヤマトを主にして、後に書き改めたもの。

神武東征も、出雲がヤマトに出てくる経路を記述したもの。

武甕槌の国譲りは、鉄の剣を持ったスサノヲがヤマトに国譲りを迫った話の焼き直し。

三輪の神は、本来の出雲の神を動座したもの。

もちろん、出雲神話は出雲の神話、ヤマトの先祖の話である。

では、国譲りを迫った相手は?

倭である。

出雲のヤマトが倭に国譲りを迫ったのである。

こうして奈良に大和王権が誕生し、それ以前の倭の歴史は葬られた。

だから、古事記にも、日本書紀にも邪馬台国の記述はない。

なぜなら、自分らの先祖の話ではないから。

古事記はその間の事情を記憶した「ふることの記」、しかし、そのまま書くわけにはいかなかったから、脚色された。

では何故か?

その当時の国際情勢である。

白村江の戦いから間もない国際情勢が、真実を書くことをためらわせたからである。

ではその真実は。

スサノヲが渡来人であるから。

誤解してはいけないのは、これは人種偏見とか、朝鮮蔑視とはまったく違って、国際情勢のためである。

大体朝鮮民族蔑視等は高々、100年足らず前の、明治以降、それも日清、日露戦争以降の話である。

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無題
楽しく読みました。
「スサノヲの国譲り迫り」は西暦でいえばどのあたりに見るのでしょうか。
ま、推論ですので、適当に、そして端的な理由があると喜ばしいのですが。
そういう事実がまことにあったとして、その歴史をいつごろの人までの共通認識だったんだろうか。
koza URL 2012/05/04(Fri)05:19:22 Edit Top
Re:無題
kozaさま:もう少しお付き合いください。書きたいことはまだまだあります。
マスター 2012/05/04 06:47
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