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12月6日(土)に10月で見学した古市古墳群の残りの半分の見学会を催しました。
今回の参加者は13名。

現役の女子大生から70歳を超える人間まで、幅広い年齢の、
ただただ純粋に歴史が好きという共通項で結ばれた仲間ばかりが、
今回も天野先生を案内役に、8km、5時間を
時には雪中行進という過酷な条件の中、和気藹藹と楽しく、
古墳巡りを楽しみました。
これで、10月の古市、11月の百舌、
そして今回と、世界遺産に申請中の百舌古市古墳群をほぼ制覇した感じです。

今回のコースは

古市駅→白鳥神社→誉田八幡宮宝物館→墓山古墳→

野中古墳→野中宮山古墳→浄元寺山古墳→青山古墳→

仁賢陵古墳→峰が塚古墳→白鳥陵古墳→安閑陵古墳→古市駅
最初に訪れた誉田八幡宮は、応神天皇陵の拝宮として建てられた神社で、
神仏習合思想のもと、護国寺という寺と一体であったようです。
古絵図によれば後円部の頂上には、寺の八角堂が描かれています。
現在の社殿は豊臣秀頼の寄進ということです。
神社は応神天皇陵の麓にあり後円部を南から拝する形です。
宝物館にはおそらく、応神陵からでたであろう国宝の立派な鞍金具などが
展示されています。
 
応神天皇陵は墳丘長425m、仁徳稜に次ぐ大きさで体積は日本一。
とにかく巨大すぎて全景は高い所に登らないととることができません。

この古墳には、もちろん立ち入ることはできませんが、今回も
百舌鳥古墳群の見学会と違って、天野先生の案内で


多くの古墳に実際に立ち入ることができ、この点でも、実に貴重な体験でした。

 
古墳の上ではこうした葺石も確認できました。


最後は白鳥陵
姿の美しい古墳です。なにより、この羽曳野市の地名がヤマトタケルから来ています。
ヤマトタケルの陵は記紀によればこの河内の古市郷に築かれたと書かれています。
そして、日本書紀で、古市からハクチョウになったヤマトタケルが天に向かって羽を曳くように飛び去ったという記述から羽曳野市と名ずけられています。
それだけに、この古墳が羽曳野市にとっては、白鳥陵であることは絶対なわけですが、
残念ながらこの古墳の築造年代は5世紀後半。少し時代が合いません。
 天野さんはこの古墳は、477年ごろに築かれた倭の5王の一人、
興の陵と考えています。
そしてヤマトタケルの陵は4世紀後半の築造と思われる津堂城山古墳
と考えていますが、羽曳野市の関係もあり、なかなか主張することが
はばかれています。
まあ、いずれにしろ陵墓の発掘は現時点では不可能ですし、
仮に発掘しても日本の古墳では墓碑銘はまず出ませんので、
確定することは難しいです。
次回はこの続きで、私の考えを書いてみたいと思っています。
  
   

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