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百舌鳥古墳群は戦前に112基以上確認でき たそうですが、
戦中戦後を通じて多くが破壊され現在は47基を数えるのみとなっています。
そうした中で、宮内庁管理の多くの古墳は破壊をまぬがれ、
今に至るまでその姿をとどめています。
確かに立ち入り調査ができないなどの問題もありますが、保存という意味では、
陵墓に指定されていることで、破壊をまぬがれるという長所もあります。
宮川氏によれば、大山陵は戦時中米軍の空爆にさいして大阪侵入のランドマークと
なっていたとのことで、その意味でこの、七観山古墳に高射砲陣地の構築が
計画されたましたが、途中で敗戦を迎え未完のまま放置されていました。
そうした時に緊急調査をし、馬具や帯金具など多くの貴重な遺品を発掘したのが宮川氏でした。
現在写真のような復元がされていますが、宮川氏によれば、昔の姿とは似ても似つかぬ姿であるとのことです。
百舌鳥古墳群には、今な多くのの古墳が残されていますが、宮内庁管理以外の古墳は、そのまま放置されているか、あるいはせっかく復元しても元の姿が無残に改悪されているかという現状です。
そうした中でも、履中天皇陵の前にあった大塚山古墳は全長167mの大古墳で、この地域の首長墓と考えられますが、戦後土取りのため完全に破壊されて、今その姿のかけらもありません。
そこから出土した鉤型の武具はおそらく、海戦で、用いられたものであろうかと考えられますが、現在正倉院展に展示されている、折れ曲がった武具は、ひょっとしたらこうした鉤型の武具の、改良されたものではないかと、ふと私には思えました。おそらく馬上で、敵の武将をひっかけたりあるいは切り伏せたりするために用いたのではないか?
宮川氏によれば、海から眺めたこの履中陵は、大山陵より、はるかに巨大に見えるとのこと。
そうしたことからも海からの視線を意識したものと考えられます。
奈良盆地から、古市、百舌に移動した王墓の意味については私なりの考えがあります。
12月には再度古市古墳群を訪れます。
その結果を踏まえ、来年には私の考えも書いてみたいと思っています。
とりあえず、今回の百舌鳥古墳見学会は、保存という視点から多く考えさせられた見学会でした。
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