神社と神様と靖国3
神社には当然、神様が祀られていると皆考えていますが、正確に言うと、
そうではありません。
神社は「カミのヤシロ」と読めます。
ヤは屋であり建物です。シロは依りしろであり、神そのものではなく、
影向の松のように神さまが下りてこられるための「依りしろ」です。
古代に於いては、ヤシロは神が降臨する場所を常緑樹で囲うだけで、
祭りが終わると即刻、取り壊すのが常例でした。
後に祭場に仮小屋を建てるようになりましたが、
それも祭りの直後には取り壊していました。
やがて仮小屋を、そのまま残しておくようになったのがヤシロの原型で、
時代を経るに従って仏教寺院の影響もあり
次第に永久的建造物としての神殿の建造が求められるようになって
神社となったと考えられます。
いずれにしろ、神社は「千の風」で歌われたのと同じで、
神は常住されているのではなく、呼びかけに対して降りてこられる場所というわけです。
「大神宮御祭日よめる」という西行法師の歌があります。
何事のおはしますをば しらねども
かたじけなさの なみだこぼるる
西行法師ほどの方が、伊勢に祀られている神について知らなかったわけはありませんが、
この歌でよく解るように、その実像は良く解らないけれど、
有り難いものだと言うのが、神社とそこに祀られた神への
普通の理解であるということを示しています。
このように、古来日本人にとっては、神社は、そこに祀られている神様の名前はさほど重要でなく、それぞれの心になかで思い浮かぶ神様を拝礼する時に念じながら拝む場所と言う理解で良いと思います。
最初それぞれの神社には特定の名前を持った祭神が祭られていたわけではありません。
「出雲風土記」によれば、神祇官社184の中25、
非神祇官社215の中3しか祭神が記されていません。
「延喜式」の神名帳では、およそ64%が祭神不明なのです。
今、神社に行けば、必ずと言っていいほど、祭神が書かれています。
その神々の名前は、ほとんどが皇統に繋がる記紀神話に登場する神々です。
例えば、代表が伊勢神宮の天照大神。
熱田神宮は、神話に登場する草薙ぎの剱。
出雲大社は、皇統ではないですが、神話の大国主命。
そして、かっては違う神が祭神であったと思える神社でも,
記紀に登場する神に代えられています。
例えば、富士山にある本宮浅間大社、浅間は固有名詞ではなく、
形の秀麗な高い神の宿る山を浅間といって、各地に浅間山があります。
この場合、山自体が神様です。ですから本来名前はありませんでした。
ところが、今では祭神があります。
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の奥さんです。
奈良市の柳生の天岩立神社の本来の神さまは岩神(いわがみ)です。
岩自体が神様です。ですからやはり、本来名前はありませんでした。
でも今は名前がつけられています。
前立磐は豊磐牖命(とよいわまどのみこと)、
後立磐は櫛磐牖命(くしいわまどのみこと)、
前伏磐は天岩戸別命(あまのいわとわけのみこと)。
こう云った名前は古事記の神話に出てくる神々で、
この岩も、天之岩戸が飛んできたものとか言われて、
記紀神話に結び付けられています。
このように、神社に祀られている神様は時代につれて替わっています。
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