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3、中臣氏の出自について
中臣氏の出自に関しては目下のところ河内説が有力である。
その根拠として、枚岡神社の存在がその大きな理由の一つである。
枚岡神社は中臣氏の祖神天児屋根命・比売神を祭神とし、
中臣氏の氏神社であることは異論のないところである。
氏神社は、各氏族の本拠地や出自地に創設されるのが
一般的であり、氏神は各氏族の守護神であると同時に、
農耕神の性格も具有している。
それ故に、氏神は所在の地域に豊穣をもたらす地域神であり、
所在地やその周辺地域と緊密な関係にあり他所への移動を拒むものである。
また『新撰姓氏録』で河内国に中臣朝臣の前姓である中臣連が二氏、
中臣が一氏おり、この三氏は中央に出仕することもなく、
高次のカバネを賜与されることもなく、
在地に残っていることが一つの支証であるとする。
また「中臣寿詞」で二上山が舞台となった話で、
中臣氏と二上山の伝承上の結びつきがみられ、
二上山を仰ぐ位置に出自地を有していた一証とする。
志田氏は「中臣氏系図」において、初期の黒田・常盤の代には、
河内の小豪族(塩屋連・物部来津首)と婚姻関係を持っていることも、
中臣氏がやはり河内在住の中小氏族であったことが推定されるとする。
しかしこのことについては私には別の考え方があり、
常陸説を合わせて考察したい。
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