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当初、おん祭が始まるころには書き上げるつもりでしたが、なかなか進まなくて、おん祭が始まってしまいました。

今日は大宿所蔡、昔はおん祭に参加する大和士が各地から参集して、泊まったのが大宿所。

そこで行われる神事が大宿所蔡、おん祭の幕開けの行事です。

今日は店にいても、大宿所に向かう行列の太鼓の音が聞こえていました。

明日は夜遷幸の儀。

そして17日が本蔡と続きます。

今年は久しぶりにおん祭らしい寒さになりそうです。

ここ10年ほど、暖冬のせいか、昔はおん祭といえば小雪がちらついてと、よく言われたのが、雪の代わりに雨の日が多く、それもあってか、お旅所に屋根を付けるといったこともありましたが、宮司が変わり昔の姿の戻ったのは結構なことです。

ただ、昔は誰でも自由に見れたのに、最近は竹矢来の中は保存会の会員しか入れないとか、今年は観覧席が設けられて、5000円だとか、ちょっとどうかなと思います。

ま、祭に維持には金がかかるからやむおえない面もあります。

さて、その若宮おん祭の、若宮ですが、文字どおり、本殿の第四殿、比売神を母神として誕生した御子神です。

若宮社は保延元年(1135)に造営されたらしいですが、これは諸説あるようです。

ただ、おん祭は保延2年(1136)に始まったのは確実といっていいようです。

当時の内大臣中御門宗忠の日記「中右記」に保延2年9月17日におん祭が始まった旨明記されています。

一応氏の長者関白藤原忠通の命によりとあり、又その年、非常に雨が多、洪水飢饉にみまわれ、悪疫が流行、庶民の生活は困窮を極めた、その救済のため新しく出現した水神である若宮の霊威に頼ったのは当時としては当然と言えることでした。

今のおん祭にも見られる、『日の使い」はただ単にその日の使いと言うほかに、『日」晴れを祈る太陽の意味がこめられていたと考える方が自然かもしれない。

もう1つ、所謂興福寺の春日に対する関与も上げられます。

興福寺が春日に対する支配を強めていたが、春日蔡は僧侶の参加は認められず、祭祀権は摂関家の氏の長者のもの、そこで大和の国の支配者の威光を示すために、若宮社を創建し、おん祭に祭礼を主宰したと言う説もある。

したがって、日の使いは当初から摂関家の関与を嫌って代理を立てたとも言われている。

ま、それはともかく、おん祭は今年で875年の歴史を刻み、その当時の芸能の姿を今に残す、生きた芸能史といえる貴重なお祭りです。

是非、皆様にはお渡りだけでなく夜のお旅所で繰り広がられる、諸芸能をご覧ください。

小説は、最後にはおん祭の場面で終わります。

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