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さて、聖武天皇は喜びの余りでしょうか、安積皇子の他にも皇位継承の資格を持つ皇子はいたにもかかわらず、生後1カ月のこの基王を皇太子とします。

何度も言うように、奈良時代が天武天皇の血を引く天皇の時代だと言う言い方が、ここでも違うことがわかります。

例えば、天武天皇の長男であり、太政大臣を務めた高市皇子の皇子で母親も天智天皇の子である御名部内親王という、申し分のない血筋である長屋王は、全く名さえ上がりません。そして御承知のように、光明皇后即位の妨げということで、排除されます。そして長屋王と、妃である吉備内親王、子の膳夫王は自殺。

ところが、その長屋王の妻であり、藤原不比等の娘の長娥子の子である黄文王、山背王、安宿王は、命が助かります。

ここでも藤原氏の意向がうかがえますが、ともかく、こうして、天武天智の孫王は他にもいるにも関わらず、無理やり生後一か月の基王が皇太子となります。

ここには藤原氏の意向とともに光明皇后の意向が強く働いたのは明らかです。

そして聖武天皇のもう一人の妃、県犬飼広刀自には、神亀5年(728)すでに男児が生まれています。安積親王です。しかしながら、安積親王は、やはり無視されます。

ところがその基皇太子は生後1年で亡くなります。死因は不明ですが、皇位継承権のある長屋王の呪殺といううわさが立ちます。

これが、後の長屋王の変に繋がります。目の上のたんこぶと言える長屋王がなくなると待っていたように、光明子が臣下の娘としては異例な皇后となります。

これらの事を推進してきた藤原氏に、長屋王の祟りと言われる出来事が起こります。御承知のように,藤原4兄弟が次々と疱瘡で亡くなっていきます。

この時空白となった官位に任用されるのが、無位の白壁王、道祖王、橘諸兄も大納言となります。

あくる天平10年、この時点で唯一の皇位継承男子である安積親王が皇太子となり、藤原氏の血統が皇位から消えるのを恐れた藤原氏は、皇后でもない未婚の安部内親王を皇太子という異例の措置を取ります。これは光明皇后の意志でもあります。

ただ反対の声にも配慮して、安積親王の皇位継承権は保障すると言う複雑な妥協案を取ります。

広刀自の娘である井上内親王は、5歳で伊勢の斎宮へと出されてしまいます。

神亀4年(727)の事です。弟である安積親王の死によりその職を辞したのは28歳の時です。そしてすでに、40過ぎの白壁王に嫁します。

ここまで、井上皇后誕生に至るまでの経緯を振り返ってきましたが、聖武天皇と、光明皇后、犬飼広刀自そして、それぞれの子である、阿倍内親王、井上内親王、そしてまだあまり出てきませんが、広刀自のもう一人の子、不破内親王との関係がお分かりいただけたでしょうか?

簡単に言えば、聖武天皇を間に、その正妻である光明皇后、側室である広刀自。

そしてその子たちの争いに至る背景が以上です。
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