「吉野一隅」という本があります。
大淀町在住の元高校教諭の男性が自分の住む村の伝承や歴史について、一つ一丹念に、そのいわれの興った理由や、事象について、まさにコツコツ積み上げた「極微私的」な雑記です。
大変おもしろく、かつ有意義な本と思いましたので紹介させていただきます。
例えば「ゲンベ坂」といわれる坂がある。この坂には安定寺のゲンベさんが夜な夜なエンショウジに通ったという伝承が残されている。
著者はまず、そのエンショウジという寺について調べる。
その場所に行き表面採集をすると、江戸期の土器の破片や瓶の破片等を取得する。その土地の言い伝えも聞き取り調査をする。その結果この地区には本長寺、安養寺、安定寺の他にもう一つ浄土真宗の寺があったことをつきとめる。そしてついには東京の立川の国文学研究所資料館の古文書の中から、「源兵衛」の名前を見つけ出す。
当初はその源兵衛さんが、女の元へ通った艶聞として面白おかしく伝わった話が、信心深い源兵衛さんが、毎夜信仰のために通った坂であったことをつきとめる。
まさに、ここに、この本の真骨頂が凝縮されている。
ちょっとした坂の名前から、伝承を探り、現場を訪れ、ついには東京まで出かけ古文書からその名のいわれの人物を浮かび上がらせ事実を検証する。
まさに、足が地についた研究とも言えよう。
7月10日の朝日新聞の夕刊には、著者がそういった日々の努力の中から、古代遺跡の発見まで至ったことを紹介しているのであるが、その時、専門家の立場から手助けをしたのが、われわれアカダマ会の、講師である大淀町教育委員会の松田度 氏であることを紹介している。
内容を要約すれば、「著者が田んぼの中から土器片を拾い出し、それを、松田氏に見てもらった結果、古墳時代まで遡る須恵器であることが判明する。
それで終わらずに、それ以降、雨で田の中から土器片が浮かび上がるので,雨が降ると田を歩き回り土器片の収集を続け、その数、3年余で1,100点以上。そして拾い集めた土器を松田さんに持ち込んで鑑定してもらうと言うことを、丁寧に続ける。
その土器片からやがて、「扶桑略記」にある、宇多上皇が吉野離宮に通う途中で宿泊した、「吉野郡院」の推定地にまで研究を進めるに至るという話である。」
『吉野一隅』という本にはこうした、話が散りばめられている。
この本の希望者は1冊500円(郵送料こみ、切手でも可)を同封し、
〒630・3122、大淀町中増476番地、山本昭緒さん方まで郵送すれば返送されます。
この本から、研究というのはこういった積み重ねであることが改めて、実感され、私としては自分を省みて大いに刺激を受けるとともに、反省させられました。
このように、自分の周りにある些細なことを見過ごさず、地味な努力を続けることが大切であることに気づかされ、自戒の念を強く感じさせられた本です。
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