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アカダマブログ
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今回のアカダマ会は京都造形芸術大学の庭園がご専門の仲先生を講師にお迎えして、
旧山口家別邸についてお話を伺いました。
旧山口家南都別邸などと言ってもどこのことかお分かりにならないと思いますが、
浮御堂の北側傾斜地にあった旧家庭裁判所、裁判所宿舎跡地一帯がそれに該当します。
古く奈良時代から室町時代にかけて興福寺の勢力の拡大につれて寺僧の住居である子院
が寺外に多く建てられていきました。

その子院にも南北朝以降寺格が生じていきます。
その中でも皇族の出身者が入寺した子院を門跡と称し、
興福寺では大乗院と一条院がそれにあたります。
大乗院は今の奈良ホテル一帯にあり、御所馬場と言った地名と
土塀にその名残を残し、庭園は保存修復され公開されています。

 一条院は明治の廃仏毀釈により、県のものとなり跡地は県庁となっています。
足利義昭は一条院門跡から還俗して足利最後の将軍になりました。
そして一条院の最後の門跡である水谷川忠起が官幣大社春日大社の初代宮司となっています。

  その門跡に次ぐ格を持つのが院家と言われる塔頭です。
院家は修南院、喜多院、松林院、東北院の四家あり主に公家の子弟が院主となります。

院家の下には、学侶、堂司、三綱、承仕、仕丁と続き各々格を持ち
一種のヒエラルキーを形成しています。

松林院家については、百人一首かるたに関わるものとしては興味深い話があり、
藤原定家以来、歌道の家として知られる冷泉家の第18代為則の五男が松林院家
の最後の住職、法印大僧都実雅として名を残しています。
  
この松林院家が明治の廃仏希釈により廃絶し、実雅が還俗して松林為成となり、
松林家は明治17年には男爵を授爵されていますが松林院の跡地は民間の手にわたります。

明治の廃仏毀釈は多くの奈良の寺地や、神社の社地に悲劇的な運命を与えていますが
この松林院の跡地もその後は持ち主を変え明治も終わりの44年に至って
大阪の財閥山口謙四郎が所有者となります。

戦後は国有地となり裁判所として使用され、2005年に至って奈良県に移管されます。
その後約10年は利用方法が決まらずいわば放置されていましたが2014年になり、
奈良県が、その地の活用を考え、その事前調査として発掘調査がなされます。

今日の話はここからが本題です。
発掘の結果、予想はされていましたが、庭園以降が見つかり、これは予想以上ですが
庭園として価値の高いものであることが判明します。
予備知識として以上のことがあり、その庭園遺構がどういった性格のものであるか?
どのように利用されていたかと言ったことのレクチャ―をまず受けました。

そしていよいよ現地の見学です。
近くに住まいする私としては長年内部がどのようになっているか興味津々でしたし、
そもそもメンバーの皆にすれば初めて聞く話であり、いったい現状がどのようなものであるのか
足を踏み入れるまで想像もつかず、一見して思わず感嘆の声があちこちで起こりました。
 
ある程度整理されていますが内部は草ぼうぼう、原生林に近い状態です。
そして待望の庭園遺構。
ドキドキしながら足を踏み入れました。



まず目につくのは滝の遺構です。巨石を立てに配置しその上を水が流れるような仕組みです。

その滝から流れた水が注ぎこむ池の遺構です。


これは滝の上部にある井戸でここからあふれ出た水が滝に注ぐように配置されていますが、
ご覧のように水源は湧水ではなく、水道水です。
現地は北が低く南が高い自然の地形を生かし、高台からは鷺池を通しての奈良公園の風景が見渡され、絶景と言えますが、今は木が生い茂り景色はあまり見えません。

さてこの庭園は、山口謙四郎の兄で山口財閥の当主である山口吉郎兵衛の差配によるものですが
吉郎兵衛は銀行家であると同時に「滴翠」と号した茶道家でした。
また洋画家の小見寺八山のパトロンであり、この小見寺をこの別荘の一角に住まわせていました。
この小見寺を訪ねて志賀直哉もしばしばこの別荘に足を運んだようで、志賀直哉の小説
「淋しき生涯」の主人公はこの小見寺を主人公にしたものでした。
また茶人である謙四郎はこの別荘庭園の一角に茶室を設け、しばしば茶会をも要したことが分かっています。
客人としては志賀直哉を始め、武者小路実篤などの高畑サロンのメンバー。
野村財閥の創始者である野村徳七.宗教家、政治家として高名な
大谷尊由などが名を残しています。
残念ながら今はその茶室は現存していませんが写真は残り、建物の後も確認されていますので復元は可能なようです。

現状は草木が茂り、見通しも悪くなかなか往時の姿を想像するのは難しいですが、
鷺池に臨んだ北向きの傾斜地という絶好のロケーションであり、奈良には数少ない
貴重な近世庭園であり、多くの文人墨客を迎えた茶室も確認されているこの遺構を
現状のままにしておくのは奈良のためばかりでなく、日本のために
実にもったいない話であり、何とか有意義に活用されるべきであると思います。

おりしも、県が12月26日にこの場所に高級ホテルを誘致する計画を発表しました。
果たしてホテルの応募があるかどうかはわかりませんし、ホテルがベストとは思いませんが、
 県の財政事情からも民間活力を利用する方法もありかとは思います。
 
ただ最近この土地のすぐ横を手に入れた奈良とは本来何の縁もなく、
奈良の歴史的な背景や文化的価値に何の知識もない人が、
自己の利益のためにのみ反対運動を扇動しているのは実に残念なことです。
この方は以前にも近くの同じく興福寺の残された数少ない旧塔頭の跡地に
市が美術館を計画をした時、静かな環境が侵されるという理由で反対し、
結局その計画が破棄され、以来何十年市民税金をつぎ込んだ土地が放置されるという
原因を作った人です。
 奈良では有数の資産家であり、社会的地位もある方なのですから、
もう少し広い観点でこの遺構を活用することが奈良にとって、
日本にとって良いことかどうかという客観的な判断をしてもらいたいものです。
現場の土地は木が生い茂り、竹林が侵食し鬱蒼とした状態で、
以前にそこに生えている木が折れ、通行人を直撃してけが人が出たこともあります。
今の荒れた状態でこれからまた何十年放置されるという事態は避けるべきです。
奈良公園の一角に位置し、景色の良い場所、有効利用されるのが
県・市民、そして観光客のためになると私は思います。
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自己紹介:
奈良市にあった喫茶店『可否茶座 アカダマ』の元マスター.2013年奈良大学通信学部文化財歴史学科を卒業。奈良まほろばソムリエ検定第1期ソムリエ取得。第1回小倉百人一首検定1級合格。
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