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平成28年の7月に閉鎖の方針が決定された奈良少年刑務所

平成281021日(金)に開催された国の文化審議会において、奈良少年刑務所(指定名称「旧奈良監獄」)を重要文化財として指定するよう答申がなされました。

指定される旧奈良監獄の概要は、

名称・ 旧奈良監獄(ならかんごく) 19 
      
中央看守所及び事務所、第一分房監(第一寮)、第二分房監(第二寮)、
 
     
第三分房監(第三寮)、夜間寝房(第四寮)、雑居監(第五寮)、
   雑居監附属工場、
 夜間寝房附属工場、構内仕切兼男拘置監浴場接見所、構内仕切兼病監浴場接見所、

 南倉庫、北倉庫、拘置監、醫務所、病監、精神病躁狂監、表門、周囲煉化塀(二基)、
                     

旧奈良監獄は、明治政府による第一期監獄改築計画の一つとして計画されました。
    
設計は司法省営繕課長の山下啓次郎(やましたけいじろう)とみられ、 明治41年に
  
完成しています。敷地中央に建つ中央看守所及び事務所を中心として5棟の舎房を扇形に 並べるほか、敷地内には附属工場や拘置監など一連の施設が良好に保存されています。
 
中核となる建物群は、ロマネスクを基調とした煉瓦壁の外観で統一され、
左右対称の整然とした計画で配置されており、意匠的にも優れています。
明治政府が刑事施設の 国際標準化を目指して計画した監獄の希少な遺構
として歴史的価値が高く、土地とあわせて保存が図られます。 
 
   平成29331日をもっていよいよ閉鎖されるということで、
ソムリエアカダマ会で 少年刑務所の内部を見学させていただきました。
「奈良少年刑務所」は東大寺から1キロほど北の住宅地に接して、
106,000m2
 広大な敷地に1908年(明治41)に奈良市般若寺町に建設されたものです。

    

塀の外側と内側、さすがに刑務所だけあって高いですが、すべてレンガ造りで
これも重要文化財です。
  

まず前に立つと、左右に円塔を配置した大きな表門が目を引きます。

 

建設当時の日本は、欧米列強に対して不平等条約解消を図るためと
良く知られた鹿鳴館を始め多方面にわたって日本の国力をアピールしようと
努力を続けていました。
 
この少年刑務所もその一環であり、建設当時は「監獄をみれば、その国の文化度がわかる」
と言われた時代で、新政府は、奈良、鹿児島、長崎、金沢、千葉に同時期に従来の牢屋ではない
新時代の刑務所を建設しましたが、これら「明治の五大監獄」のうち現存するのは、
ここ、奈良だけです。

この外観はまさに当時の日本の威信をかけて作られた堂々たる建築です。


中に入って正面に見える堂々とした赤レンガ造りの洋館は、職員が働く庁舎として
使われているそうです。

我々見学者はここから全員隊列を組んで中へといざなわれました。
まずホールに案内され、そこで
法務省の総務部長の方から説明を受けました。
 
我々が行進させられたのも、行進させれば、管理しやすい面もあるが、
受刑者間で不審な動きがあれば一目瞭然であり、 結果受刑者同士でいざこざが
おこってもすぐに食い止められるからということを体験させるためとのこと。
他にも食事のやり取りとか、本の貸し借りなども、認めると、
たとえ驚かされて止む終えず渡していても分からないから、
認めないのは受刑者を守るためだなどと説明を受けました。
お話によると職員の方も閉鎖を聞いたのは昨年の夏、ある程度覚悟はしていたが、
時期は予想以上に早かったそうです。
事務所棟は、6メートルぐらいはあろうかという高い天井や大理石の手すり、
御影石の階段など、明治時代の建築物の意匠や技術を結集しており、
まるで博物館の中を歩いているようです。



次いで、受刑者が収容されている舎房棟へ。放射状に5本の廊下が延びる扇の要の位置に、
監視員が一望に監視できる「中央監守所」がある。
見渡しやすいように、遠くへ行くほど廊下は緩やかに傾斜している。



1階と2階の床にくりぬいた開口部があり、窓からの採光が2階から1階に向けて降り注ぐため、
中は明るい。

明治時代の日本人の身長が今より低かったからだろうか、建設当時のままの舎房の木製の扉は、
高さが160センチほどしかなくさして背が高くない私でも潜り抜ける感じです。
独坊のドア、さすがに分厚く窓はほんの少し覗ける程度。

室内は水洗トイレと洗面台を備えた2畳大のスペース。天井が高い分、
圧迫感は抑えられている。




その他収容者が職業訓練をする部屋などは木造で、
これも今回の重要文化財の指定を受けています。


屋根の小屋組みには大工仕事の教育のため梁などの名前が張り付けてあります。

 

100余りの年月の間には増設が行われ、明治、大正、昭和、平成の建物が混在するが、
明治時代のレンガ造りの重厚さには目を見張ります。






かっての奈良奉行所、今の奈良女子大にあった江戸時代の牢屋が移築されています。

100年以上を経過したこの建物は現代の建築基準法や消防法の条項を満たしていない部分もあり、
開設以来、大きな改築はなく、受刑者たちの手を借りながら少しずつ増築や修繕をしてきたのだそうで、建物は老朽化したが、耐震性を補強して改築するとなると数十億円かかると試算され、
地元の保存運動もあり、法務省でもなんとか現状で残そうとした結果、
民間に委託することとなったそうです。
まだ利用方法は定まっていませんがホテルが最有力とのことです。
4月からは法務省の管轄を離れ、内部をこうして見れるのは最後の機会と思われ、
見学できたことは大変幸運なことでした。
最近奈良ではインバウンドと言われる観光客の増加もあり、観光県でありながら、
全国でも最低レベル宿泊客しかない現状を打破するため、県の手で積極的にホテルの誘致が行われています。
ただホテルが増えれば客が増えるわけではなく、観光客を引き付ける魅力がないといけないのは
当然のことです。
その点この少年刑務所は立地条件と言い、建物の魅力だけでも観光客を引き付ける魅力を備えたものと思えます。
他にも高畑で志賀直哉や高畑サロンのメンバーも訪れた近代名庭園を備えた旧興福寺の塔頭跡もホテル誘致の計画があり、こちらも場所と言い、庭園と言い、大変魅力的なホテルになりそうです。
ただ、残念なことに、明治以来一度も公園であったことがなく民間の敷地であったこの場所を、
トランプ大統領のようなフェイクニュースで、あたかも奈良公園の一部が破壊されるように言いふらし、近隣の自治会、飛鳥地区自治連合会でも全く反対の声が上がっていないのに地元自治会が反対しているかのように言いふらしている一部の人が存在するのは困ったことです。
反対運動を扇動している実業家は、隣接する宿泊施設を半年余り前に手に入れ、ホテルの反対運動をしているのは何か胡乱な気がします。
  もちろんこの奈良の良さを破壊するような
計画は困りますが、奈良の持つ魅力を向上させるような計画であれば積極的に応援していきたいと思っています。
 

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