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奈良大学、そして昨年の奈良県立大学に続いて今年は奈良教育大学の
オープンクラス、聴講を受けました。

科目は「日本史概説」古代律令制です。
クラスは40人余り、そのうち聴講生は4人でした。
県立大学はクラスのほとんどが中高年、その中にちらほら現役生でしたが、
今回は現役生に中に中高年が紛れ込んだ感じです。
残念ながら現役生とは知り合うことができませんでした。
ま、当然と言えば当然、クラスに紛れ込んだ異分子ですから、
授業はやはり奈良大学とはかなり違っていかにも教員養成大学。
常に教師となったとき自分はどう教えるかを念頭に置いて考えることが求められていて、
それはそれでなかなか新鮮でした。
授業は古代律令制について詳しく15回の授業で学ぶものでした。
一つの時代、一つの事例についてこれだけ詳しく学ぶのは初めてで、大変有意義でしたが
それほど知識のない学生がこの一点にのみ集中して学んで、果たして歴史に対する理解が
深まるのか少し疑問は感じます。

 
古代律令制は唐の制度にを習ったものです。
天智の時代に唐・新羅の連合軍と戦って惨敗を喫した天武朝の時代は、
ある意味現在と同じで中国の脅威を一番感じていた時代です。
 従ってこの律令制の中でも軍政は重要な要素です。
超巨大国家に向かい合う日本と朝鮮半島の対処の仕方は昔も今も常に同じ。
要するに日本と朝鮮半島と手を結んで中国に対するか、中国と朝鮮半島とが手を結んで
日本に対するかの繰り返しであるということです。
 
日本の古代律令制は、律令のもとにいかに軍隊を編成するかに注がれましたが、
それも朝鮮半島の情勢によって、時には厳しく、時には緩む繰り返しで、
時にはそれに日本の権力闘争も複雑に絡み合います。
端的に言えば対新羅関係が日本の権力の推移に直結しました。
律令体制が最初に整備された時期は藤原不比等政権であり、
それが少し緩んだのが長屋王政権。
その反動で強化されたのが藤原4兄弟政権。
次いで軍縮時代は橘諸兄政権。
強化されたのが次の藤原仲麻呂政権。
それは朝鮮半島における権力のバランスに呼応したものです。
 古来日本の対朝鮮半島政策は、百済・新羅・高句麗。後には、渤海国などと如何に外交関係を結ぶかによって日本国内の権力が左右されてきました。
 奈良時代の 光仁朝を経て、平安時代に至り,唐帝国の解体と共に、
日本の軍事態勢もほとんど解かれ、やがては律令体制そのものも、崩壊していきます。

現在も中国は巨大な人口と経済力・軍事力を備えた日本の隣国であり続けます。
従って日本は中國とそして、その周辺国、さらには現在では
アメリカ・ヨーロッパ、さらにはロシアなどを絡めて如何に外交を進めていくかに
かかっています。
 
温故知新、歴史を学んでいかに現在の国際情勢に対処するか?
まさに「学んで思わざればすなわちあやうし」です。

日本の地政学的な立地から言って東洋の巨大国家中國と如何に付き合って行けば良いか、
そして朝鮮半島、近隣のアジアの国々と如何に関係すべきか。
この日本の永遠の課題に古代史を学んで、現在の東アジアに思いを巡らされた
半年の授業でした。
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