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中臣氏が常陸出身だと言う説。
中臣氏が枚岡あたりの出身で、だから枚岡神社が氏神として枚岡にあり、基本的に農業を基盤とした古代では、氏神は動かないという説。
これを当てはめれば、鹿島社が常陸にあり、中臣氏が氏神と言う以上、常陸が出身の地と言うことになります。
ただし、中臣氏は河内、藤原氏(鎌足を始祖)は常陸。
だから春日社は両方をお祭りしているということです。
また大鏡、あるいは談山神社の縁起に鎌足が常陸の生まれとあります。
常陸側の鎌足の生い立ちはこうです。
推古21年(あるいは22年)に常陸国鹿島神宮の神官である御食子の妻が臨月となった。
そこで屋敷を出て、海(北浦)辺の産屋に移って男子を出産した。名を鎌子という。
成長すると極めて利発な子となり、鹿島で一生を終わらせるにはあまりに惜しいので、奈良の都へ上らせ、中臣本家に養子となる。
曽我氏の横暴に、怒りを御覚えた鎌子は神祇伯を拝しながら病と称し摂津、三島に引きこもり曽我氏打倒を図る。
そして中大兄皇子と組んで入鹿を撃ち、その後は天智天皇を支え、やがて紫冠を授けられ、最後には大職冠を受け藤原の姓をたまわった。
出生の身分が低いので、その後の出世とあわせ、出身のことは秘密とされ、飛鳥藤原の生まれということにされている。
ざっと書くとこんな感じです。
いうなればこの事がどれだけ正しいか、あるいは正しくないかを解明することが、私の卒論のテーマです。
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