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アカダマブログ
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今回のアカダマ会は近鉄奈良駅のすぐ近くににある漢国神社(かんごうじんじゃ)の社務所で宮司さんに講師をお願いして開かれました。

今や神社の中にある饅頭の神様、林神社の方が有名かもしれません。
その由緒は古く、すぐ近くにある率川(いさがわ)神社と同じ頃に建てられた奈良市で最古の神社の一つです。
漢国神社は、一殿三座で左は推古天皇の元年(592年)の勅命により大物主命(おおものぬしのみこと)を祀り、その後、藤原不比等が真ん中にある大己貴命(おほなむちのみこと)と右にある少彦名命(すくなぬひこなのみこと)を合祀したとされています。
宮司さんのお話にもありましたが、神社名から韓国の神社か、中国の神社かとよく間違われる
そうですが、その名前の由来に関しては確論はないそうですが、
最初から祀られていた神・大物主神を園神。
後から合祀された大己貴命と少彦名命を韓神とし、
韓園神社→漢国神社となったのではないかと考えられています。
とにかく奈良に都が移される以前から鎮座されていた神ですからその名前の由来も
遥か悠久の昔のこと、しかとはわからないのでしょう。
この神社に伝わる話で有名なのは慶長19年の大阪の陣で、今大河ドラマで放映されている真田幸村との戦いで敗れ、奈良まで逃げて来た際、この神社の境内の桶屋に潜み九死に一生を得たという話があります。
そのお礼に後に鎧一具を奉納され神社の鎧蔵に収められているという話です。
 
その鎧のレプリカです。本物は奈良博にあります。

 近くの大豆山にある崇徳寺にも同じような話があり、
家康公鎧かけの松と言うのが境内にあります。
近くの山の寺にも同じような話が伝わっていることから、
家康がこの近くまで逃れてきたという話は信憑性が高いと思われます。

饅頭の神様の話しは有名ですからここでは書きませんが、ちょうど我々がお邪魔している時にもテレビの撮影も行われていました。
我々アカダマ会はその後場所を移して新年会。
アカダマ会も発足以来5年を迎え、メンバーも増えたことからお互いの親睦を深めるためにはこういった酒の入った場は必須で、楽しい時間を過ごしました。
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昨日は節分、初めて二月堂の豆まきに行ってきました。
今まで店をやっていた時は、たまたま店の休みと重なる時しか行けなかった行事も
  

今は行く気さえあれば自由に行けるのはありがたいこです。
 思いかけずそこでは同級生が豆をまいていました。
考えてみると私は早生まれで皆と1年違うのですが同級生は年男というわけです。
今まで店で節分の日に来たお客さんに、偉そうに今日は二月堂で2時から
豆まきがあるから行ってきなさい。
そうしたら3時から元興寺で、夜には興福寺で豆まき、そして春日大社へ行けば萬灯篭が見れ
お得ですよ、なんて勧めていましたが、実際に行ったことはなかったわけで、
申し訳ない話です。
ですから二月堂の豆まきも、てっきり舞台から豆をまくものだと信じていましたが、
初めて来てみると下に特設された台の上からまくだけでした。
でも実際に行ったことはなくても、店をやっているときは実際に行ってきたお客さんから多くのことを聞かせてもらえ、それを見てきたような知識として、別のお客さんに話していたので、
言わば中継をしていたのですが、このように私の知識は、お客さんから教えてもらった知識の方が圧倒的に多いものでした。
 アカダマに来店になるお客さんは奈良好き、そして歴史好きの客さんが多く、実に多くのことを学ばせてもらえました。
私が奈良ソムリエの試験を受けた時、さすがにソムリエ試験は少し勉強しましたが、
一,二級は自分の知識を試す意味で勉強せずに受けたのですが、合格できたのはこういったお客さんから日々得た知識が身についていたからです。
 
こうしたお客さんが店に多く来られるようになったのは私の力ではなく、父の代からお客さんとその人たちが醸し出していた店の雰囲気がもたらす魅力だったと思います。
今度のトークイベントではそうした時代のことを話させてもらおうと思っています。
「ことのまあかり」さんにて下記の要領でトークイベントが開催されます。
アカダマを閉店して5年になりますが、アカダマを懐かしんで「ことのまあかり」さんに
多くのお客さんが未だ訪れられるということで、この度こういう企画で開催されることになりました。
私としては果たして申し込んでくださる方があるのか不安ですが、また楽しみにもしています。



お知らせです!
2
20日(土)11時~13
ことのまあかりの場所にかつてあった奈良の老舗珈琲店、「可否茶座アカダマ」のオーナー大槻さんをお招きして、トークイベントを開催します。
このイベントでは特別に大槻さんに珈琲を淹れていただきます!

珈琲が味わえるだけでなく、さらにアカダマさんのことをお話していただいたり、参加者のみなさんからいろいろとお聞きしたりするトークサロン的な形で考 えています。

軽食がついて1200円です。
最大15名のイベントですので、お早めにお申し込みください。
お申し込みは
kotonomaakari@furukoto.org
まで、メールで

お名前
電話番号
ご住所
参加人数
を記載の上、お申し込みください。
お待ちしております!

従来遷都の理由について、『周礼』の思想による都城づくりが
遣唐使の派遣によって、もはや古いことが判明した結果であると考えられてきました。
しかし、長安城についてはすでに遣隋使がみていることかわかっています。
従って遣唐使による新たな知識で藤原京が否定されたという見方は
当てはまらないと考えられます。
あくまで藤原京の立地は唐長安城を参考にして陰陽五行説に基づいた理想の都城
として建設されたのですが、
大和三山、飛鳥川との関係で、南が高く中央に位置する藤原宮が結果的に
低湿地となってしまいました。

このことは万葉集に記載の歌からもうかがえます。

大君は神にしませば赤駒のはらばう田居を都となしつ。(19-4260)

大君は神にしませば水鳥のすだく水沼を都となしつ(19-4261)

いずれの歌も本来は天皇の威徳をたたえる歌ですが、藤原京の場所が
低湿地帯であることが、この歌からよくわかります。

そこで田辺氏は遣唐使がもたらした知識で遷都が意識されたのは
長安城の大極宮も立地が低く湿潤で歴代皇帝が病気がちであり、
それを避けるために大明宮が建設されたということです。

こうした視点で遷都の詔を見ると、あくまで遷都は元明天皇の意思ではなく
天皇並びにその周辺の人々の健康を心配した周囲の人々が,躊躇する天皇を説き伏せ
このままでは皇室の継続が失われると遷都を促した結果であると読み取れます。

こうして遷都された平城京は北が高く南に広がる立地であり、その北の端に大極殿が位置し、
藤原京の12朝堂院形式ではなく長安城の大明宮含元殿の様式を採用したものであると指摘されます。

これは従来の説では十分に納得できなかった遷都の理由がほぼ解明される画期的な説であると私には思え、ここで紹介させていただきました。

新年あけましておめでとうございます。
今年は3が日とも本当に暖かく、天候にも恵まれ良い正月でした。
我が家では大分汚れが目立ってきたので、今年は新しく日の丸を購入し、
さっそく正月には新しい日の丸を掲げました。
かっては、唱歌にも歌われたように、正月には家の門ごとに掲げられた日の丸も
近所では1割程度。
ドイツでは平日でも多くの家に国旗が掲げられていたのとは随分と違います。
個人的には、大みそかまで喧騒に包まれていた町が、元日にはひっそりと静まりかえり、
家々に日の丸が掲げられている風景が大好きですので少し寂しく感じました。
さて、藤原京から平城京への遷都の話しです。

平城遷都の詔の原文を以下に載せました。

《和銅元年(七〇八)二月戊寅(十五)》○戊寅。詔曰。

朕祗奉上玄。君臨宇内。以菲薄之徳。処紫宮之尊。常以為。作之者労。居之者逸。

遷都之事。必未遑也。而王公大臣咸言。往古已降。至于近代。揆日瞻星。起宮室之基。

遷都のことは必ずしも急がなくてよい。ところが王公大臣は皆いう。

卜世相土。建帝皇之邑。定鼎之基永固。無窮之業斯在。衆議難忍。詞情深切。然則京師者。

多くの臣下が議することは抑えることが困難で、その詞も情も深く切実である。

百官之府。四海所帰。唯朕一人。豈独逸予。苟利於物。其可遠乎。昔殷王五遷。受中興之号。周后三定。致太平之称。

京師というものは、百官の府であり、四海の民が集まるところである。

ただ自分一人がどうして独り安楽であって好かろうか。

いやしくも利点があるなら従うべきではあるまいか

安以遷其久安宅。方今,平城之地。四禽叶図。三山作鎮。亀筮並従。宜建都邑。宜其営構資,須随事条奏。亦待秋収後。令造路橋。子来之義,勿致労擾。制度之宜。令後不加。

 
緑で表示した四禽叶図以下の文章は有名ですのでご存知の方も多いと思います。
問題は、赤で訳をしてある部分です。
要するに、元明天皇本人はあまり気が進まないが、皆が強く勧めるので、しぶしぶと言う感じで遷都をしたと読み取れます。
わずか16年ほどで,何故さほど意に沿わない遷都が行われたのか?
このことについて多くの議論があることは前回書きました。

 

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