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公民館の行事で普通は非公開の知事公舎を見学してきました。
現荒井知事は昨年まで、ここに住んでいました。
正面はバス通りの裏側、北面して依水園に通じる道に面してあります。
 
知事公舎の裏、南側には三蔵院という塔頭があり、
そこは副知事公舎と奈良学セミナーハウス。
東側、現在の吉城園には摩尼珠院、県警本部長の公舎だった場所には無量寺院
と、この周辺は明治まで興福寺の子院が立ち並んでいたところで、今も土塀が
その雰囲気を残しています。子院の数は100~150にものぼったと言われます。
知事公舎のあった場所には仏地院という塔頭があり、
この門は、新たに建てられたというよりは、その子院の門を
そのまま使っていると思われます。

門をくぐると前庭がありますが、わずか1年前まで知事が住んでいたのに、
もうすでに雑草が生い茂って、かなり荒れた様子です。
前庭を回り込んだところに玄関。

玄関には樹齢千年を超えるかと思われる木の切り株の衝立。
 

  建築面積は671.48平方mの全館平屋で、13室。
この玄関の右側を住居部分として使用していたそうで、
右側部分はかなり内装が手を入れられていますが、
左側は創建当時の趣を留めています。

左側廊下の突き当りがご認証の間と言われる部屋です。
 
残念ながら内部の撮影は禁止されており写真はここまでです。
平屋ということもあり、天井は高く開放感があります。
写真のように、来客用の洋服掛けがずらりと設置されています。

1951年サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が
国会で批准されましたが、その時天皇陛下は全国巡幸の最中で
時の内閣官房長官剱木享弘氏が天皇の署名を得るため奈良まで
来て夕刻この部屋で批准書にサインをされたという。
戦後の日本の行く末に重大な影響を及ぼした条約のサインが
このかっての都、奈良の地でなされたという歴史のめぐりあわせに
感慨を覚えます。
こう言った現代史の舞台となった建物は、世界を見ても何れも保存され、
観光施設となって公開されています。
現在奈良県では2020年春の開業を目指してこの知事公舎、副知事公舎、
吉城園を含めた一帯を保存と継承し、後世に伝えるため事業者を森トラストに
決定し、レストランやホテルを含めた活用を目指しています。

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