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同じく吉備塚について

K氏の話し

 鏡明神さんの怒りで、九州から玄昉の首が飛んできて学芸大学の中に落ちた。
 初めは首塚と言うていたのがなまって、キビ塚と言うようになった。
連隊の工事の時に大林組の人夫が祟りのため3人も死んだので、
取り壊し作業は中止になった。
その後ここをさわる人には必ず祟りがあった。
またここを、吉備大臣の住んではったとこやとも言う。
吉備大臣が勉強してはる時にカエルがやかましいので、
声を封じてしまわれたので、鳴かず川と言う。
下流の鳴川まで行くと鳴いても良いと言われたので、
鳴川と言うのやと言うゆわれがある。

その土地の所有者には何の祟りもなく、塚の上の木の枝を割り木にして、
家に運んでいたのを見たことがある。
今は息子はんの代になっている。
頭塔は玄昉の胴が飛んできたところであり、肘の飛んできた肘塚には小さな堂があり、
クヌギが植えてある。


吉備塚のある場所の所有者であるÝ氏の話し。

祖父の代から現在の吉備塚を含めて1町3反の田を所有していた。
祖父も父も、あの塚には大きな白蛇が住んでいて、
1年に1辺は姿をみせると言っていた。
太さは約1寸ぐらいであったと言っていた。

正月には塚をきれいに掃除して、餅を供えてちょっと拝んだり、
4月3日の野休みには餅を供えたりぐらいのことで、
特別な祭りをしたことはないと思う。
祟りのきつい塚と言うことやし、よその人には祟りがあるのに
わしとこだけには祟りがないと人は言うけれど、まあ、
祖父も父も大事に守をしていたからやないかと思う。

吉備大臣の墓とも言うし吉備大明神とも言う。

田へ仕事に行く父について子供の私もよく行ったが、この塚へは登ったらバチがあたる
と言うてめったに登らせなかった。
登った子供は熱を出したり病気になったりしたからである。

塚の土地を削ったので祟りがあって、死んだ人が閼伽井町にある。
父はこの塚を大事にしていた。
クヌギの枝を掃うぐらいのことはあったが、木を刈ったことはなく、
年の暮れには草をきれいに刈って掃除をした。
土を削ったことはない。

夏など木陰があって涼しいとこやのに百姓でも登って一服したりすることはなかった。
兵隊のラッパ練習でも具合のええとこであるのに、ここを使わなかったし、
土方でもこの土地を避けた。
わたしは白蛇のすがたを見たことはない。
地番は、ドロイケと言う。
この塚のすぐ東に用水の池があり、それをドロイケと言うたからである。
53連隊のでける工事のとき、この辺を買い上げられた。
わたしの小さい頃と、塚の形はほとんど変わっていないと思う。
玄昉の胴を埋めたというところは、鏡の明神さんの向かいにあった。


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